最上三十三観音第二十二番札所 延沢 ・ 二十三番札所六沢・ 銀山温泉・ 二十四番札所 上の畑

五十沢(いさざわ)に続いて、比較的近くにある二十二番札所の延沢へ行きました。

村の中にありますが、もう観音堂は青いシートで覆われています。
観音堂の左手に大きなコウヤマキという木がありました。
見上げる大きさはどのくらいあるのか、市の天然記念物になっているようです。
葉っぱが太く肉厚で杉と五葉松をあわせたような形状です。


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ひとしきり眺めてから、お参りをさせてもらって、御詠歌を歌って、直ぐそばにあるお寺様の玄関を入りました。
玄関の正面には古い板戸に尾形光琳も真っ青のような梅の大木の絵が4枚板戸一杯に描いてありました。
あまりの見事さに、御朱印を戴く間見とれておりましたが、次の方も待っていまして、その絵の写真を撮らせていただくことが、差し控えられてしまいました。
老木の太い枝と、若木の一本一本がのびのびと、大変印象的でした。
かなり古いようなものでしたが、機会があれば、詳しくお聞きしてもう一度拝ませていただきたいものです。

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さ~引き続いて二十三番札所六沢です。
ガイドブックは、昔ひいじいが最上三十三観音参りをしたときの骨董品ですので、少々わかりづらい。
とにかく銀山温泉の方向のようですので、迷いながら出掛けました。

そうこうしている内に、銀山温泉が見えはじめて、行き止まりになってしまいました。
銀山温泉は大正から昭和初期にかけての建築構造のロマンあふれる雰囲気の宿で観光客でにぎわっています。

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結局その前に二十四番札所 上の畑(かみのはた)へお参りしました。


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ガイドブックによれば
尾花沢からパスで銀山温泉に向かう。温泉街がようやく見え銀山川のダムのよどんだ水をみおろす右手の丘に観音堂が建っている。
ご本尊は聖観音で春日の作と伝えられる。
寛永年間(1624~44)が最盛期でいささかオーパーのようだが四万八千軒、人口は30万近くあったという。
掘り尽くすのも早く明暦(1655~58)のころから急速に衰微した。温泉は銀山が栄えたころからのもので札所巡りの人たちは必ず泊まったところでもある。
上の畑には天保2年(1831)から十数年の間窯場があった。その古い焼きものを再現しようと、地元の青年が温泉の近くに窯を造り上の畑焼きをつくっている。


数年前、この上の畑焼きの窯元を尋ねたことがあります。
藍の染付けのものを何点か買ってきて今でも使っています。


大分時間も経ちました。
途中の直売所に2軒よりまして、なめこやかぼちゃなどを買いました。
親切な売り子さんが六沢を教えてくれましたので、やっとわかりました。
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最上三十三観音第二十三番札所 六沢



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巡拝ガイドより
尾花沢市内より車で二十分、銀山温泉街道に当たる常盤トンネルをくぐり、すぐ右側に二十三番の札所、光沢山円照寺がある。
昔この一帯は、湖水になって、人々は、舟やイカダで往来していたが、六沢の城沢山の境内には、何千年もたった椋の大樹があり、湖を渡って来た人は、荷物の積みおろしや舟の乗り降りの際、この大木に舟をつなぎとめたので、つなぎ沢と呼ばれていました。それで昔は、つなぎ沢観音とも言われました。又便利な反面、実は大木の枝葉が数町に広がっていたので、農作物に被害を与えていた。しかし、樹の精があるというので、恐れてただ一人手出しをする者がいなかった。その時、大同二年、慈覚大師が巡錫したとき、村人の悩みを聞いた大師は、みずから大樹を伐採し、この大樹で聖観音をきざみ、有縁の地へ安置した。その一体の聖観世音が六沢のご本尊で観音様を刻んだ残りで地蔵様を刻み、村の古い家では木っ葉地蔵と言っている。
いつのまにか観音寺は廃寺となり、村の信者達が近くの円照寺に依頼し、当時の住職江口皐天大和尚の努力で観音堂は復興した。しかし、当観音堂は倒壊寸前となり、円照寺二十世哲生大和尚は、円照寺境内に改築移転、同七月に落慶式を行った。




さ~もう夕暮れ。
燃えるような太陽が西の空に落ちました。

東の空には、気の早いお月様が美しく昇っておりました。

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