古布のウエストポーチを作りました。

今日は土曜日。
久しぶりに30度を超えて暑い!!
午前中はまごっちS君の運動会を見に行きました~~
がんばったねぇ~~100M走!

でも暑くて暑くて早々に引き上げてきました。

午後からは作りかけのポーチを完成させました。


一辺が2センチの六角形を19個,、  お星さまのようなこれも一辺が2センチの三角形が24個
周りは明治の縞でまとめます。


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ウエストポーチですから腰に巻きます。
縞の古布をポーチの裏に縫い付けてベルトにして安定するようにしました。
ベルトも布で作っています。金具は買ったものです。
袋が少し長く見えますが、中に物が入りますとまあまあちょうどいい長さになります  (^_^;)  
キルティングもしました。

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上部からものを入れます。
また手前の三角のポケットには携帯が入ります。
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裏地には昔の<のらくろ><ベティさん>の柄のうすい絹物です。
とてもめずらしい~~柄ですが多分子供の祝い着の裏地だったものでしょう。

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参考まで・・・・・
大日本雄弁会講談社(現・講談社)の雑誌「少年倶楽部」にて1931年から連載され、戦前の漫画としては稀有な長期連載[1]となっていたが、1941年に内務省の役人から「この戦時中に漫画などというふざけたものは掲載を許さん」というクレームが入り、編集長がやむなく打ち切りにした[2]。戦後も潮書房の雑誌「丸」に探偵の物語として1981年まで執筆した。

日本の漫画の萌芽期に人気を獲得。当時は、雑誌だけにとどまらず子供向けの商品には次々にのらくろが登場した。現代のキャラクター商品のはしりともいえる「のらくろ墨」、楽器「のらくろハーモニカ」、筆箱、幼児用の玩具、ハンガーなどが発売された。著作権は、このような第二次的な商品にまでは法的規制の及ばない時代で、ほとんど原作者や出版社の無許諾商品である。これに関して原作者の田河は「ええじゃないですか、みなさんよろこんで使ってくれるんだから」と鷹揚なものだった[3]。

1989年に漫画執筆権を弟子の「のらくろトリオ」(山根青鬼、山根赤鬼、永田竹丸)に継承した。田河と山根赤鬼の死後も「のらくろトリオ」によって新作が発表され続けているが、田河の作品よりギャグ漫画色がどちらかといえば強い。

初出から70年以上を経た今(2013年現在)でもキャラクター関連商品等が多数販売されている。




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