巡礼・・・・

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          我が家の矢羽すすきが穂をだしました


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巡礼とはなんでしょうか。
巡礼の始まり 
巡礼は観音信仰がさかんになった平安時代の中期から、修験道や僧たちの修行としてはじまった。
やがて布教の方法のひとつとして巡礼がすすめられるようになって、江戸時代になって庶民に普及し、広まった。
今、心の”よりどころ”を求める人々が、巡礼にその場を求めているという。
古来から日本人は、旅を好み、旅によって人は磨かれるとも教えられてきた。はじめは純粋な信仰心というよりも物見遊山の行楽的な気持ちで巡礼に出た人も札所から札所への道も霊場であると言われるだけに、いつしか心が洗われ、信仰の世界に入っている自分を見出すことができる。巡礼は、旅の中の宗教と言えるのではないでしょうか。
 札所とは、巡礼した霊場のご本尊との結縁(けちえん)の場所。
その昔は、本尊との結縁を願って自分の住所、氏名を書いた木札を拝観したお堂に打ち付けて廻りました。
その名残が、「打ち納め」や「逆打ち」などと言う言葉にのこっている。
巡礼をひとことで言えば(個人差はあるでしょうが)、自分自身をみつめ、再発見し、救済し、蘇生する旅といえるでしょう

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この文は、インターネットで巡礼と言うのを調べたくて開いたものの中の一文の引用です。


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                  ムラサキシキブ

火曜日(11日)突然、パッチワークの先生の旦那様から、今からお伺いしたいとのお電話を戴き、何か知らんと思いながら、どうぞと言いました。
その日も暑い。
軽く冷房をかけて、日本間で、お茶をおすすめした。

これを、貰ってくださいと言って、差し出されたのは、ママンも何度か拝見している古い版画である。

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三十六歌仙絵巻の中の、斎宮女御 の版画である。
詳しい事は、正直ママンもほとんどわかりませんが、下記のようないわれがあるらしい。

  <まず「三十六歌仙」と聞くと、有名な佐竹本三十六歌仙絵巻を思い出されるでしょう。この「佐竹本」というのは、江戸時代の佐竹藩(秋田)の持っていた三十六歌仙絵巻のことです。描かれた時代は、平安時代末から鎌倉時代初めと考えられています>
 三十六歌仙の流転 く詳しくはこちら 
 三十六歌仙 詳しくはこちら 


旦那様のおっしゃるには
これは、骨董としての価値はほとんどないのだけれど、○子が、あなたへ上げてくださいと書いてあるので、どうか収めてくださいとのこと。

思い起こせば、確かに、二年前ぐらい
この版画は、かくかくしかじかで、秋田出身のあなたに縁があるので、額装して飾ったらどうかしらと言われて、じゃあ、額装して下さいといった品である。
源氏物語の六条御息所の上にモデル化されているといわれているとかで、その頃源氏物語に再々はまっていたママンは、ま~ いいわね と言う のり で、お願いしていた。
 その他の版画も何点か、求めて、今でも四季折々、玄関に掛けているが・・・。

ただ戴くわけにはいかないことは、承知しているが・・・。
それでは、お言葉に甘えて、戴いて、額装して、楽しみますと言いました。


冒頭、巡礼・・・という文章を引用したのは、旦那様が、奥様のゆかりの方達を訪ねているのです。
先月も、20年前、北海道二人旅 で知り合いになられた方で、障害を持っていながら、北海道で版画家として活躍している方のもとへ、一人で行かれたのです。そして、奥様がメモしていた品物があると、それを届けているのです。

あと、二人いるんだよね。と言っていました。

来週は、鳥海山の上で、星の撮影をするんだ。
蔵王は下界が明るくて星が見えないんだよね。
今までも鳥海山で、何年も挑戦しているが、もやが出たりして、失敗ばかり。
レンズを開きっぱなしにしているからねえ~なかなか成功しないんだよ・・・と言うようなお話を聞きました。

体重もかなり減っている様子ではあるが、写真を撮る気になっている事が、よかったなあと思うのと同時に、巡礼者のように感じられ、ここまで奥様との生活が大きかったのかと、心痛みました。



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          矢羽芒 ・ チェリーセージ・花器西山焼き

そういえば、この矢羽芒も先生の旦那様が、分けてくださったものです。
西山焼きの花器も、旦那様のお世話で、窯元へ連れて行っていただいた折、買い求めたものだった…。

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