今日は結婚40年記念日・・・  セピア色の桜    &   思い出す田植えの頃

セピア色の桜・・・もう40ウン年前の桜です。

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・・・そうまだ、付き合ったばかりの頃でしょう、桜の花の咲く頃に、どこかへ二人で行った時のですね~

長い長い日にちが経って、もう色あせてポロポロですが、そっとそのまましまっておきましょう。
50年、60年の日まで・・・。
その内そんな物があることさえ忘れてしまうまで・・・・。


40年前、5月17日に結婚式を控えて、前の日から山形に来ていた母と朝散歩に出ました。

いがったな~、田植えが終わっていて・・・。
親戚の人たちにも申し訳ないからよぅ~

そう言った母の言葉を今でもはっきり覚えています。

昭和四十三年ですから、田植えは、母にとっては、大変な仕事でした。
その頃、家の田んぼは4反5畝ありました。
機械も(牛も)?苗もすべて近所の大農家の家からお世話になって、田植えをしなければなりません。
お世話になるためには、まずその大農家にお手伝いに行かなければなりません。何日も何日も、近所の家の人は皆そうして、少ししかない田んぼゆえに、しろかきから、苗取り、田植えを終わすまで手伝って、やっと自分の田んぼに植える苗を貰って、家族で植えるのです。

だから、ママンもそのお宅に、こ苗うちと言って、田植えをしている人たち7~8人にあぜ道から苗をぽ~んと投げる役割をするために、学校を休んで(休みもあった?)お手伝いに行ったものでした。

ママンの実家のあたりでは、それが当たり前でした。
子供といえども田植えから、稲刈りまでお手伝いしたものです。
ママンが小さい頃は、牛を借りてきて、しろかきをするときは重しがわりにしろかき棒の上に乗っかったりした記憶もあるね~その後は、機械になったけど。
自分の家の田んぼに取り掛かる頃には、手の付け根のあたりが腫れて、秋田弁で そらで  なんて言っていたな~痛いんだけど、そんなのでも愚痴も言わずにがんばっていたな~母は・・・。

そうした大切な時期が終わって、本当にほっとして山形に来たのだったな~
親戚の人たちもきてくれたし、友人達も来てくれたな~  五城目ばあばさんも、来てくれたよね~(^_^;)

そう、色々思い出すと、40年は長いよね~
今年は、もう田植えは終わったのかな?
今年は遅いような気がする。
今では実家も田んぼが全然無い。機械化と都市化で、家の周りも、田植えも様変わりしているね~
田んぼに水が入り、早苗が植えわたされる今の時期は、懐かしくも切ない思い出の頃でもありますねぇ。

今日の日を迎える事が出来た事を、有難く思います。
これからも、いろんな思い出を大切に思い出しながら、沢山の人に感謝しながら、二人とも元気で長く一緒に暮らしましょうねぇ。

今夜は二人で駅裏へ行って、一杯やる予定です・・・。




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